nomitoriのメモ

へぇ~と思ったことをここにメモる

狗を打つ高雄、猫を打つ民雄

年越しは台湾に行ってました。

途中、乗り換えのために民雄って駅で乗り換えましてね。

日本人の名前みたいな駅ですが、日本時代に名前がついた街で、同じく日本時代に名前がついた高雄とペアみたいな地名なんですな。

 

日本人でも知ってる人は多そうですが高雄の地名由来はこう

根據日本人類學家伊能嘉矩的考證,今日高雄沿海早期主要為馬卡道族所居住,在該族語言當中,用以防禦海盜的刺竹林稱為 takau。而漢人依其方言音譯為「打狗」(音:Táⁿ-káu),[3]鳳山縣志》也將當地馬卡道部落記載為「打狗社」。[4]官方文書有時雅化為「打鼓」。[5]西方人則有寫做「Takow」[6]、「Tancoia」等。[7]除了打狗外,相對於今日屏東縣東港,高雄曾有「西港」一稱。[8]至於日本對臺灣的另一稱呼「高砂」或「高砂國」,也來自「打狗」之名。[7]

日治時期日本人依「takau」的日語訓讀諧音將「打狗」兩字改寫為漢字「高雄」(音:Taka-o),源於日本京都右京高雄山[9],此制度實施於1920年。直到1945年以前,「高雄」二字是以日語拼音「Takao」來羅馬化。二次大戰後,中華民國政府才將「高雄」以中文威妥瑪式拼音改寫為「Kaohsiung」,[10]是當前主要通行於世界上的名稱。

 高雄市 - 維基百科,自由的百科全書

 

簡単にまとめると

・この地域に住んでいた先住民マカタウ族の竹林を表す言葉「takau」

・大陸から来た漢族が音を漢字に転写したのが「打狗(Táⁿ-káu)」

・日本統治時代に日本人が京都の高雄山からとって「高雄(Taka-o)」に改名

・戦後、中華民国政府が漢字はそのままで読みを改めて「高雄(Kaohsiung)」

 

つまり先住民の言葉に漢字をあてたものの、「狗(犬)を打つ」じゃイメージが悪いってんで(想像)、日本人が日本語で音の近い「高雄」に直して、戦後も漢字はそのままで今にいたるってわけなんですな。

 

一方、民雄の由来もこれとそっくりで

民雄原名「打貓」,源自洪雅族平埔族中樞社名,打貓一詞由來有兩派說法。其一為打猫派,犬字邊的猫在台語中唸,為果子貍之意,這派認為當初的平埔族社名為「Dovaha」(担貍社),閩南人將之音譯為「打猫」(Tá-bâ)。而猫與貓字相似,後代漸漸混同,因而改發為「打貓」(Tá-niau)。其二為打貓派,認為過去台語漢字貓、猫並沒有像現今分的這麼清楚,過去識字人口也不多,不太可能因為寫錯字而導致發錯音,且地名應是口耳相傳而非靠寫字,所以認為可能古時候就已經叫「打貓」(Tá-niau),因而推論當初的打貓社名為「Taneaw」。

1904年日本人所繪的《臺灣堡圖》,其上「打猫」的臺灣語假名標為「ターニヤウ」(Tānyau),表示此時臺語已經發為「Tá-niau」。1920年前設立打猫區,隸屬嘉義廳打猫支廳,管轄打猫南堡內之打猫街、東勢湖庄、菁埔庄、蕃仔庄、雙援庄、竹仔腳庄、好收庄、崙仔頂庄、頂藔庄、新庄仔庄、田中央庄、江厝庄、牛斗山庄、鴨母坔庄、牛稠溪庄。

1920年大正9年)台灣地方改制,日本官方認為「打猫」地名不雅,在日語中「猫」被視為是「貓」的異體字,所以「打猫」兩字的發音被發為「打貓」的「Da-byō」,總督府取日語近音詞「民雄(たみお,Tami-o)」,在此設置「民雄庄」,劃歸台南州嘉義郡管轄。戰後初期改為台南縣嘉義區民雄鄉,1950年(民國39年)改為嘉義縣民雄鄉至今。

民雄鄉 - 維基百科,自由的百科全書

こちらも簡単にまとめると

・元はこの地域に住んでいた先住民ホアンヤ族の中心集落の名前

・二説あって、一説は集落Dovahaを漢族が「打猫(Tá-bâ)」と転写したものの、後に字が似ているの混同して「打貓(Tá-niau)」になったというもの

・一説はもともと台湾だと猫と貓は混同してつかわれていて、集落Taneawを「打貓(Tá-niau)」としたというもの

・日本統治時代に日本人が「打猫(Da-byō)」と読んで、音が近い「民雄(Tami-o)」に改名

・戦後、漢字はそのままで今に至る「民雄(Mínxióng)」

 

つまり高雄も民雄も、まず漢族が先住民の言葉を漢字に置き換えるものの、字面が悪くて日本時代に漢字をかえて、それが現代でも使われているということですね。

こういう地名は台湾には他にもあるんですが(台北の萬華とか)、狗(犬)と猫とそろってる感じが対になってて面白いと思いました。

まぁ栄え具合はだいぶ違いますが…

 

旅先で撮った写真