nomitoriのメモ

へぇ~と思ったことをここにメモる

中原を通るから中原街道じゃなくて、中原街道が通るから中原だったのね

だいぶ遅れて録画してたブラタモリ武蔵小杉を見ました。

私ずっと川崎の中原あたりを通るから、中原街道って言うって思いこんでんですが、番組で説明された由来は違っていて。

江戸から平塚の中原御殿までの道だから中原街道だったんですねぇ。

江戸時代東海道が整備された後は[5]江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)と平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿で、ここに中原御殿があった)とを結ぶ脇街道とされ、「中原街道」の名で呼ばれることとなった。別称として、相州街道・お酢街道・江戸間道・小杉道・こやし街道などがある。

中原街道 - Wikipedia

じゃあ川崎の中原はなんで名付いたのかと思ったら、川崎市によると中原街道の中継の小杉御殿があったからとのこと…

 「中原区」という名称は、江戸時代に中原御殿(平塚市)と江戸を結ぶ中原街道の中継地としての小杉に御殿と陣屋があったことに由来しています。

川崎市中原区:中原区の概要

 

じゃあ小杉区でいいんじゃねとも思いましたが、まぁこの手のは元からある名前を選ぶとカドがたつってこともあったのかもですねぇ。

 

追記 はまれぽがしっかり調べてた

hamarepo.com

『川崎の町名』によると、川崎市に初めて「中原」という地名が表れたのは、1889(明治22)年の市制・町村制施行のタイミング。小杉、上丸子、宮内、上小田中、下小田中、新城といった町村が集まって、神奈川県橘樹郡中原村が編成されたという。

「町村が合併する際、どちらの地名をとっても他方から不満が出ます。そこで、従来の町名にはなかったが古くからあった中原街道に近いために縁が深い『中原』が、村の名前に採用されたのではないでしょうか」